鶴岡八幡宮の石段

今年の初詣は鶴岡八幡と善光寺だったとか。
40年近く前のむに家の初詣は猪名川の多田神社だった。
ここも清和源氏の守り神社…。
また、その後は京都の石清水八幡宮だったので、
ここから1063年に分霊を由比ガ浜に勧請したのが始まりの
鶴岡八幡宮は親類のようなもの。
古くから源氏、そして鎌倉武士の守護神だ。
ご神木の大銀杏は、別名、「公暁(くぎょう)の隠れいちょう」
伝承によれば、1219年、鎌倉幕府第三代将軍の源実朝(1192-1219)を公暁が暗殺。
甥の公暁(1200-1219)がこの銀杏の木の陰に隠れて、実朝をうかがっていたとされている。
実朝は、写真の石段(モチロン当時の石段ではない…)で公暁に斬られ、首をはねられ、
落命したとされる。
また一説では「石橋で」ともいわれ、八幡宮の社殿の中で斬られたとも…。
『承久記』によると、一の太刀は笏に合わせたが、
次の太刀で切られ、最期の言葉は「広元やある」だったという。
その後、妻は落餝し御家人百余名が出家。
実朝の亡骸は勝長寿院に葬られたが首は見つからず、
代わりに記念に与えた髪を入棺した。源氏将軍は三代で絶えた。
そのいわくつきの銀杏のご神木が、昨年(2010)三月、
強風で倒れた。
樹齢1000年とされるから
実朝当時ではこんな大銀杏であったはずがないが
…
その後どうなったかというと
残った根から新芽が元気に出て、
密生している様子
右は、倒れた太い幹を、根から4m上で
切断して移植したもの。
この幹からも新芽が出ている。

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