孤高のタワー擬人譚

かつて「誤用塾」というささやかなサイトをやっていたころ、
「五里夢中」という言葉について書いたことがある。
これの正しい意味は「霧が深くて方角がわからないように、物事の手がかりがつかめず困惑している状態のたとえ」
ということで、用法についても大方のかたが知っていると思う。
それは良いとして、では「なぜ五里(約20km)なのか」という素朴な疑問がわくのではないだろうか。
たんに語呂がいいからか?それとも何か由来があるのか…。このへんから四字熟語のウンチクの披露となっていくのだが、
出典をたどれば後漢の順帝の頃、張楷という学者が学問だけでなく道術も好み、「五里霧」を起こすことができたということからきているらしい(同じ頃、三里霧を起こすことができる者もいたそうだ)。
しかし、いかに超能力の道術師でも、四方20キロを霧で巻くとはにわかに信じがたい。
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それは神話の世界の話として、さもありなんで良いだろうが、また、こんな古い来歴を知っていてどうということもないけれど、万一なにかの機会に(…挨拶や講演などで…)この[五里夢中]を使わねばならない時、話し言葉としてはどこで一拍を入れるかが問題である。
つまり由来を知っておれば「五里霧」で「中」と一拍おくのが正しい話し方ということになる。
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駒田信二先生によると「五里霧中」を「ごり・むちゅう」と読んでいる国語辞典が実に多いと嘆いている。広辞苑をはじめ、新潮国語辞典、角川国語辞典などがヤリ玉に上がっている。
けだし「国語辞典」も、原典をおさえているかいないかで、にわかには鵜呑みにできないということになる。(ただし広辞苑第5版では「ごりむ・ちゅう」と改められているそうだ)
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昨年秋とつじょとして襲った世界大不況。
景気回復という見出しの後には「…の兆しか?」という疑問符がつき、半年経っても未だに「五里霧」の真っただ中にある。いや、むしろ言うなら「天涯霧中」とでも言うべきかも知れない…。
孤高のWTCはこんな世の中を見たくないとばかりに、みずから濃霧の中にお隠れあそばしているのだろうか。
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駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。漢字に関する深い著書多数
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